ファミリーフェイスの狙い ~擬人化を利用した統一と統率~

統一デザイン

最近はバイクの方でもクルマみたいに同系デザインで見分けが付かないモデルが増えましたよね。

俗に言うファミリーフェイスというやつで狙いをズバリ言うと

『統一と統率によるブランド力向上』

にあるわけですが、今回はそれについてザックリ簡単に書いていきます。

どのメーカーにもシリーズモデルがあるのは皆さんご存知かと。

・VFRシリーズ

・MTシリーズ

・GSX-Rシリーズ

・Ninjaシリーズ

などなど上げ出すとキリが無いんですが、今これらのモデル名を言われても大体どんな形かパッと思い浮かぶかと。

なんで思い浮かぶのかというと

「イメージが認知されているから」

というのが理由。

なぜ認知されているのかといえばそれはデザインが変わっているんだけど”変わっていないから”です。

人がバイクを見た時に一体どこを見て認識しているのかというと最も大きい要因はフロントマスク。

顔でバイクを判断する

もっと具体的に言うとヘッドライトの形で人は判断する。理由はバイク好きはヘッドライトなどの形状からそれを顔と認識するから。

これはクルマもそうなんですが実は我々は無意識のうちにバイクを擬人化して捉えている。

でもこれメーカーも狙ってやっている事で、こうした人の顔に見えるような形にされている製品を

『擬人化製品』

などと言ったりもします。

擬人化製品

何故そんな事をするのかといえば、そうやって擬人化してもらうと製品に対するリレーションシップ(親しみや愛着)が強化されるから。

オーナーが自分のバイクを愛車と呼ぶのもこれが大きな要因であり

「変わっているんだけど変わっていない」

っていう言葉の意味もこの顔にあります。

例えばいま紹介したCBR650Rというバイクは非常に人気なんですが、では先代にあたるCBR650Fはどうだったでしょう。

顔でバイクを判断する

オーナーには非常に申し訳ないですがFコンセプトの王道ながらCBR650Rほどチヤホヤはされませんでしたよね。このモデルをCBRの亜種的なモデルだと勘違いしている人や、そもそも存在すら知らない人も多いかと思います。

この両車の命運を分けた部分・・・それが顔なんです。

CBRのアイデンティティ

『二眼というCBRのアイデンティティの有無』

にある。

CBRという名前はバイク乗りなら誰もが知る歴史ある車名で、この名前のバイクを疑う人はそうそう居ない。

しかしその疑いを持たない根拠は長い歴史と実績でCBRがどういうバイクかを認識しているから。

「CBR君はスポーツが得意な”二眼のイケメン”」

という疑似化のイメージがユーザーの中で出来上がってるから、新しくなったとしてもそのアイデンティティを”継承していれば”それをCBR君として認識する。

CBRのアイデンティティを継承

「これが新しいCBR君か・・・フムフム」

となる。

しかしもしもそのアイデンティティが分かりにくいモデルになったら、CBR650Fのように皆が思うCBRじゃない顔をしたCBR君が出たらイメージと違うので認識とのズレが生まれる。

CBRのアイデンティティを破棄

「本当にCBR君なのか」

という感じで分かりやすく言うと軽く見られてしまう。

これこそが”変わっているんだけど変わっていない”という言葉の正体であり、無形資産である

『ブランド』

の正体なんです。

ホンダのデザインブランディング

「ブランドとは”らしさ”である」

という話。

ブランドというのはイメージを継承しつつ新しく開発するメーカーと、それに共感し購入するユーザーその両者が積み重ねる事で初めて生まれる信頼の証みたいなもの。

ブランディングのサイクル

何故ユーザーがこれほどまでにブランドという”らしさ”を重視するかといえば、専門家などではない以上その製品の良し悪しを分析把握するのが難しいから。

だからこそ

「CBR君ならスポーツ性は間違いないだろう」

というようにブランドイメージで判断するという話。

擬人化マーケティング

余談ですが戦艦や刀など物の擬人化コンテンツが人気になる一方、多くの人に親しまれているクルマやバイクという一見すると大ヒット間違いなしな擬人化コンテンツが今ひとつメジャーにならないのも

「メーカーとユーザー間で既に擬人化されてる(イメージが出来上がってる)から」

というのが大きな要因ではないかと。

話を戻しますが、メーカーが同じデザインばかりにする理由はもうおわかりと思います。

『ブランド(らしさ)を強化したいから』

ですね。

例えば車名やシリーズが同じなのにバラバラな顔をしている旧来のスタイルだと

「やっぱAのデザインだよな」

「俺はBが一番だと思う」

「いやいやCでしょ」

というようにブランド成長の片翼を担うユーザーが分散(希釈化)してしまい大きなブランド力の向上が望めない。

バラバラだとブランド力は上がらない

そこでクラス問わず揃えるファミリーフェイス化によって一台一台ではなく包括的なブランド力の向上を目指すようになったという話。

統一させる事でブランドを強化

ではなぜ近年このファミリーフェイスによるブランドの強化が急速かつ強烈に進んでいるのかというと

『市場の円熟化(コモディティ化)』

にあります。

日本メーカーのモデルが顕著なんですが昔と違って今はどれも高性能で故障知らずなモデルばかり。もはやハズレなど無い時代というのは何となく分かると思うのですが、もしもこのまま

「どれを選んでも大丈夫」

という横並びな状況が続くと価値が下落してしまうんです。

コモディティ化

どれも変わらないなら安いものを選ぶのが消費者だから。

そうすると売上が下がるだけでなく信頼性を上げつつ低価格路線で攻めてくる割安な後発メーカーに全部持っていかれてしまう。家電メーカーがまさにその典型ですね。

これを防ぐために重要なのが

『差別化(ブランド化)』

という付加価値で、極端な事を言うと

「250が欲しい→YZF-Rにしよう」

ではなく

「YZF-Rが欲しい→250のやつにしよう」

という”ブランド買い”をしてもらうように持っていかないといけない。逆にこうなってくれるとリピーターやコレクターにもなってくれるから強い。

ただしバイクの場合メーカーだけではなくサプライヤーと呼ばれる競合メーカーにも供給している部品会社によって成り立っている面があるので、性能や構造でライバルと差別化するのは難しい上に構造が難解なためユーザーへの訴求力が弱く費用対効果は悪い。

サプライヤーとの関係

しかし一方で車名やデザインは比較的メーカーの自由に出来るうえに差別化に置いて非常に重要な要素であり誰もが見て分かる部分。

しかもデザインによる差別化は真似されにくい障壁にもなる。色一つとってもライムグリーンやトリコロールカラーを違うメーカーが出しても違うと感じますよね。

そういったことからメーカーは

デザインによる差別化

「デザインで差別化(ブランド化)するしかない」

となっている。

凄く攻めたデザインで統一されたシリーズが増えている背景は、このコモディティ化へ対策(差別化)の重要度が増した事でデザインが大きなウェイトを占めるようになったから。

デザインによる差別化

「ひと目見ただけで分かる”らしさ”」

を製品ごとではなくシリーズやメーカーという打ち出し、差別化(ブランド化)のサイクルにユーザーを導くことで包括的なブランドイメージの循環および蓄積を促しているという話。

ちなみこのファミリーフェイスは我々ユーザー側だけでなく開発をするエンジニア側に向けた狙いもあります。

デザインフィロソフィー

デザインというのはカッコ良ければそれでいいというわけではなく

『フィロソフィー(哲学)の表現』

である必要がある。

ちゃんと意味があるデザインじゃないとダメという話なんですが、ここで非常に分かりやすい例としてカワサキのNinjaシリーズを見てみましょう。

統率デザイン

これまたオーナーには申し訳ないのですが、Ninjaのデザインが全部同じだとネットで茶化されていますね。

復習のため断っておきますがデザインが同じなのはコストカットなどの理由ではなくブランド力(Ninjaらしさ)強化のため。しかしそれは消費者から見た視点。一方で開発側の視点から見るとデザインが同じということは

『同じフィロソフィーを持つバイク』

という事になる。これが大事なんです。

ファミリーフェイス化をする場合まずそのフィロソフィーを具現化した母体デザインを造る。分かりやすいのがクルマになりますがマツダが発表した『鼓動』など。

デザインフィロソフィー

これを元にデザインの規定(デザインアスペクト)まで定められた状態で市販車のデザインが行われる。

「なんでそんな縛りが必要なのか」

と思うかもしれませんが、これはデザイナーに権限を与えると同時に暴走を防ぐため。

ファミリーフェイスというデザインの統一はデザイン部門に大きな権限を与えないと成立しないと言われています。理由はデザイナーを従来型である開発チームの一員に留めておくと開発の要望にデザイナーが一方的に折れる形になってしまうから。

デザイン部署のパワーバランス

だから開発と対等な権限を与える必要があるんだけど、その権限でデザイナーが暴走しフィロソフィーを毀損してしまう恐れがあるから権限を与えると同時に

「変えていいのは規定内だけだぞ」

っていう縛りを設けるという話。

それでこういう開発プロセスにするとどういうメリットがあるのかというと・・・士気が上がる。開発に携わる全員がフィロソフィーの方向を向いて開発するようになるんです。

例えばカワサキは『Leading Edge(最尖端)』というフィロソフィーが有名ですが、それを汲んだファミリーフェイスをした場合、開発チーム全員が

「こういう風にしたいなあ」

ではなく

「こうすれば更に尖るね」

という考えの元に開発するようになる。この完全な方向性の共有化が

・開発マネジメントの向上

・完成車の商品性向上

・ブランドの正しい継承

という結果を生む。これがファミリーフェイスのもう一つ狙い。

【余談】

良いことづくめのようなファミリーフェイスですが、当然ながらデメリットもあります。

『デメリット1:ユーザーが飽きてくる』

このファミリーフェイスというのはやればやるほど飽きるユーザーが出てきてしまう問題があります。この場合の”やればやるほど”というのは似せ過ぎる事ではなく

「モデルを増やし過ぎる事」

です。

統率デザインの問題

同じデザインのモデルが増えすぎると一台一台がボヤけて見えてしまう上に、新製品にとって最大の武器であるインパクト(斬新さ)が無くなってしまうという話。

『デメリット2:ジェネレーションギャップが色濃く出る』

ファミリーフェイスとはいえモデルチェンジはする。そうして循環と継承を繰り返さないとブランド力が強化されないのはこれまでの話で分かるかと。

しかしモデルチェンジは生産の都合上、時期がずれており一車種ごとに行われる・・・そこで問題となるのかモデルチェンジがまだ行われていないモデル。

一蓮托生ともいえるファミリーフェイスにおいて前世代のファミリーフェイスというのは例えどんなに凄いモデルでも、まるで型落ちのような印象を与えブランド力がガクンと落ちてしまうんです。

統率デザインの問題

しかもそんなリスクを犯しても世代が揃うのは数年だけ。また次のファミリーフェイス世代へのモデルチェンジが始まるからです。

なかなかのリスクというかデメリットのほうが大きいようにも思いますが、それでもこのリスクを取るメーカーが増えている。理由は何度も言いますが、それをしていかないとコモディティ化していく市場で生き残れないから。

統率デザインの問題

とにかく色んなモデルを出してその中からヒット車という大当たりを出せばよかった製品レベルで競う成長の時代は終わり

『生き残りをかけてメーカーレベルで競う円熟の時代』

に変わったからファミリーフェイスが増えてきている・・・という豆知識でした。

※参考|デザインとブランド 森永泰史ほか

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です