レーサーレプリカとそのブームについて ~定義と歴史と背景~

レーサーレプリカとは

今もバイクの話題になると取り上げられる80年代から始まったレーサーレプリカとそのブーム。

懐古ブームの影響か前にも増して雑誌やニュースでレプリカホイホイ記事をよく見かけるようになったんですが、内容がスペックか思い出話ばかりで曖昧な記憶や認識の人が(自身も含め)多い印象があります。

レーサーレプリカの定義

あやふやなまま後世に残すのも良くないと考えたので当時を知る人はおさらいとして、当時を知らない人は歴史の勉強がてらレーサーレプリカとそのブームについて振り返ってみたいと思います。

※当時レース等に参加していた方は後世に残すためにもコチラからご教授下さると補完となるので非常に助かります。

さてさて・・・まずもってレーサーレプリカとそのブームを巻き起こすキッカケとなったのは1980年になります。

鈴鹿八耐の国際レース化

当時国内最高峰レースだった鈴鹿八耐がこの年から国際レースに昇格となったのですが、その際に国際規格に準拠するため厳しいレギュレーションを設ける必要が生まれました。

それによりノービス(アマチュア)が追い出される形になったので、そういう人たちに向けた要するに誰でも簡単に参加できるレースを国際レースとは別に、つまりノービス用の最高峰レースを設けました。

それが

鈴鹿四耐

『鈴鹿四時間耐久ロードレース』

です。

今でもST600としてやってますが当時のレギュレーションは

『2st/250ccまたは4st/400ccの市販車※82年までは市販レーサーもOK』

でCBX400FやZ400GPなどの直四ネイキッドでデッドヒートが繰り広げられました。

四耐

「ポピュラーな市販車でのレース」

という事から年を追うごとに人気が出たため、年一の四耐とは別に新たにほぼ同じレギュレーションで四耐までの空白期間を争う前哨戦的な立ち位置のレース

『TT-F3(通称フォーミュラー3)』

を1981年に設立(1984年から全日本化)。

TT-F3クラス

要するにいまSSで行っているレースの4st/400ccと2st/250ccの混走版が始まったわけです。

そしてもう一つ大事なのが並列して活気づいていた改造範囲が狭い

『SP250(スポーツプロダクション250)』

という同じくノービスがメインのレースで、このレースも四耐が生まれる1980年に大きな変化がありました。

ヤマハがGP250(※GPとはMotoGPなど完全なレーサー)用の市販車TZ250の公道版として、反則級の速さを持った2st/250ccのRZ250というバイクを出したからです。

RZ250とTZ250

現代的に例えるならみんながCB1000SFやZ1000など決してレーサーじゃない1000ccバイクで闘っていた中でポンっとYZF-R1が出た感じ。

改造範囲が狭く地力が物を言うレースで勝ちたいなら

「これに乗るしかねえ」

ってなりますよね。実際そうなってレースはRZ250一色に。

と思ったら今度はカウルなど保安部品の規制緩和を武器に反則級の更に上をいくGP500マシンレプリカのRG250Γが1983年に登場。

RG500とRG250ガンマ

「アルミフレームとかこれもうGPレーサーだろ」

と騒がれてクラスが非常に加熱。

この様にストリートで爆発的な人気を誇った二台は市場だけではなくレース界でも人気だった。

そしてそんな『SP250』の人気の上に『鈴鹿四耐』と『TT-F3』が出来た事でノービス(アマチュア)にとってのサクセスロードが明確になったんです。

ノービスのピラミッド

これがレーサーレプリカとそのブームの根源であり火種になります。

ちなみに今もメディアに引っ張りだこな宮城光さんはご存知の方も多いと思いますが、この方はそんなサクセスロードを歩まれた代表的な人物。

宮城光さん

元々はバンドマンでドラム叩いていた若者だったんですがノービスレースで無類の速さを見せたことでモリワキから声が掛かりTT-F3へ参戦。最終的には全日本GP500のホンダワークスライダーまで上り詰めた方です。

当時スーパーノービスと呼ばれ女性誌にも取り上げられたりしていたので、サーキット上では宮城さんの追っかけや黄色い声援が止むことは無かった。

そんな宮城さんのようなシンデレラボーイになりたいと思った人たちが、それこそ何千人規模でレースで勝つために速い2st/250ccを求めたというわけ。

そこに油を注いだのがWGP(現代的に言うとMotoGPなど完全ワンオフレーサーのレース)で1980年頃に
・125
・350(250はおまけ的な混走)
・750
の3クラスだったのが
・125
・250
・500

に再編することになり2st250クラスが誕生。国内もこれにならって全日本GPを開催。

こうなるとメーカーからすれば

WGP250

「GP250みたいな市販車造ったらレースもセールスも取れて一石二鳥」

となりますよね。

そうして誕生したのがGP250マシンとそれに保安部品を付けただけのような公道モデルたち。

2st250レーサーレプリカ

『2st/250ccレーサーレプリカ』

です。

ホンダでいえばNSR250(RS250RW)というGP250マシンがあって、それを元に造ったのが市販レーサーのRS250Rと半身レーサーのNSR250R。

レーサーレプリカの流れ

この2st/250ccレーサーレプリカにノービスの多くは飛びつき、またその熱がストリートにも伝熱しました。

公道で乗れるGPレーサーなんて聞いたらそりゃレースに興味が無くても飛びつきますよね。

ただそんな花形レースだった四耐やTT-F3のレギュレーションですが

『2st/250ccか4st/400ccの公道走行可能な市販車』

となっている通りレーサーレプリカにはもう一つ代表的なクラスがありました。

400レーサーレプリカ

『4st/400ccレーサーレプリカ』

というクラスです。

2st/250ccレーサーレプリカがノービスに人気だった一方で、F3の最高峰であるA級(AF-3)で戦う大手チームやメーカー(ワークス)がレースで走らせていたのはこの4st/400cc。

400ccが選ばれた

理由としては

『限定解除が難しい時代で実質トップエンド』

『突き詰めれば4st/400ccの方が速い』

というセールスと性能の両面から。

ただし250と違って400はGPクラスがないのでGPレプリカではなく公道向け市販車を開発して発売し、それを(AF-3は実質何でもOKなため)ワークスチューニングという名の原型を留めない改造を施してレースに挑んでいた。

フォーミュラー400

どうしてそうまでしてしたのかといえばレースが市場での人気や売上に直結していたから。

当時はモトブロガーは愚かネットすら無い時代だからレース結果を判断基準にしている人が多かったわけです。

VF400の変異

だからメーカーもF3レーサーをフィードバックする形で市販車にも採用して人気を獲得し、またそれをワークスチューニングしてレースに勝利し人気を得る・・・の繰り返しに必死だった。

しかしここで鋭い人は気付くでしょう。

TT-Fの循環

「これレーサーレプリカじゃないのでは」

と。

そうなんです。実はこの4st/400ccというクラスはF3レーサーが出発点のレーサーレプリカとも言えるし、市販車が出発点の今でいうスーパースポーツとも言える。

これはTT-F3の上のクラスに向けて作られたTT-F1用マシン

750レーサーレプリカ

『4st/750ccレーサーレプリカ』

にも同様の事が言えます。

市販車ありきなんだけど、その市販車はレース規格ありきでレーサー技術が詰まってる。

VFR750レーサー

「ニワトリが先か、タマゴが先か」

まさにそんな矛盾する因果関係を持っていたのが4stレーサーレプリカだったんです。

ちなみに

400と250のレーサーレプリカ

「4st/400ccが速いなら何故ノービスの人たちは2st/250ccを好んだのか」

という話をすると4st/400ccは確かに速かったんですが、F3レーサーに仕立て上げるのにはウン百万も必要。にも関わらず競争や進化が早いから実質的にワンシーズンしか使えず、また最新技術の塊でパンドラに近い状態な事から高い整備スキルとチューニングスキルが求められ個人や零細ショップには厳しかった。

4stエンジン

当のホンダですら世界GP(NR500)では4stだった事による整備とセッティングの大変さが足かせになったわけですから個人なんて絶対に無理と言ってもいいほど。

だからシンプルな構造でキット込み100万円ちょっとながら

『4st/400ccに一矢を報いる性能を持った2st/250cc』

という存在はノービスにとって希望の光のようなレーサーだったんです。

2st250SP

ノービスF3が2st/250cc中心だった一方で、AF-3級では資本力に物を言わせて4st/400ccが中心だった背景にはこういう事があったんですね。

400の方でもそこら辺を鑑みて

『SS400(スーパーストリート)』

から始まり

『SP400(スーパープロダクション)』

という改造範囲が厳しいノービス向けレースも行ってはいました。

「じゃあ2st/250ccは大した事なかったのか」

というそうじゃないのが非常にややこしい所で、ここらへんが混合している人が多い印象。

当時F3のトップだったAF-3は先に説明した通りメーカーがバチバチで実質的にワークスによる原型を留めていない4st/400cc対決状態となっていました。

F3の参加層

その一方でノービスクラスでは先に言ったように無名のルーキー達が2st/250ccで闘っていた。

その結果もともとポピュラーだったから人気が出たレースという事もあり、ワークスがいるA級よりもノービスクラスの方が人気になったんです。

F3の人気

TT-F3で2st/250ccの印象が強く残っている人が多いのは恐らくこれが理由。

そしてもう一つは90年代レーサーレプリカ末期になると2st/250ccと4st/400ccの性能差が無くなった(もしくは逆転)した事。

2st250cc末期

「じゃあやっぱり2st/250ccの方が凄い」

となるんだけど実はもうこの頃になるとTT-F3はワークス禁止(1989年)に加えても2stも禁止(1990年)だった。つまりTT-F3で輝く機会が無かったわけです。

その代わり四耐の方はまだ出走出来たのでそちらで2st/250ccが何年にも渡り4stを抑えて優勝する活躍をしました。

まとめると

2st/250cc=ノービスと90年代の四耐で活躍

4st/400cc=TT-F3(市販車レース)で活躍

というのが250/400レーサーレプリカの大まかな歴史。

250と400レーサーレプリカ

「なるほどレーサーレプリカってそういう事だったのか」

と思ってもらえると嬉しいんですがレーサーレプリカには他のクラスもありますよね。

次に紹介するのがレーサーレプリカの中でも2st/250ccと双璧を成すほどの人気だったクラス。

4st250レーサーレプリカ

『4st/250ccレーサーレプリカ』

このクラスは上記で紹介したクラスとはちょっと立ち位置が違います。

というのも2st/250ccや4st/400ccはF3や四耐に直結しているレーサーという要素が合ったんですが、それに対して

『4st/250cc』

というのは直結していないわけです。

250/400/750レーサーレプリカ

つまりレースベースとしての役割を大きく担っているわけではなかった。

『NP・F~SP250F』

という4st/250ccのレースが一部のサーキットで開催され人気も競争も凄かったんですが、何度も言うようにクラスが違うのでSP250/400の様な四耐やF3への登竜門レースという立ち位置ではなかった。

「じゃあ何故造ったのか」

という話ですが理由は大きく分けて二つあります。

一つはFZ250PHAZERという250ccながら四気筒エンジンを積んだバイクが出て人気が出た事。※初はGSX250FW

FZ250PHAZER

要するに250ccクラスでも四気筒じゃないと売れない時代に突入したんですね。ちなみにこのバイクも市場だけではなくプロダクションレースでも人気でした。

そしてもう一つはレーサーレプリカブームが到来した事。

CBR400RR

これまで話してきた通りレーサーレプリカブームによって

「4stなら400、2stなら250」

という風潮が生まれた事で一般バイク乗りは

2st/250cc乗り=峠やサーキット

4st/400cc乗り=街乗りからツーリングまで

という棲み分けの様な状態が起こっていた。何にでも使いたい人は今も昔も4st支持だったわけですね。

そして同時にメーカーはFZ250PHAERのヒットによって

『250需要の大きさ』

それにRZ250とVT250Fの真っ向対決から

『2stと4stの客層は被らない』

という2つの事を学んでいた。

VT250FとRZ250

アンチ2stのホンダが2stを出してきたのもこれがあったからなんですが、つまり

「街乗りからツーリングまで使える4stが欲しい」

と考える層にとってレーサーレプリカブームというのは

「過激な高額400しかない」

という状態になってしまい、手を出すのを躊躇する人が出てくる事が分かっていたわけです。

400レーレプ

加えて重要なのがレースと密接に関係しているレーサーレプリカといえど4st/250ccになると

「レースを意識していない層が多い」

という事。

ここに向けて出したのが半身レーサーというよりもレース界を騒がせていたレーサーレプリカの流れを受け継いだ4st/250ccレーサーレプリカ。

直4の250レーサーレプリカ

『レーサーレプリカのレプリカ』

といえる存在なんです。

その狙い通り敷居の低さを武器に老若男女問わず大人気となり、レースというよりもストリート側で加熱していきました。

GSX-Rシリーズ

そのためメーカーも足つきへの配慮などユーザー層の事を考えて造っており、レースとはちょっと距離を置く立ち位置にしていた。400同様にレーサー志向だったのは唯一Rモデル(プロダクションモデル)を出したカワサキくらい。

つまり4st/250ccレーサーレプリカというのは

『レースと無縁な層にレプリカブームを起こしたクラス』

とも言え、レース界を中心に燃えていたレプリカブームをレースとは無縁な層まで巻き込んで燃え上がらせたのは間違いなくこのクラス。

まあ無理もない話というか当たり前な話で4st/400ccにも言えるんですが、例えレースやスポーツに興味がなくても

レーサーレプリカの選択

「貴方が落としたのは直四アルミフレームで60万のバイクですか、それとも単気筒鉄フレームで50万円のバイクですか。」

って女神様に聞かれたら誰だって

「直四アルミフレームで60万の方です」

って即答しますよね。

レーサーレプリカ需要

レーレプの話はよく聞くのにレースの話はそれほど聞かない事からも分かる通り、レーサーレプリカブームってそういう事なんですよ。

だいぶ長くなって来たので残りはちょっとサクサク行きます。

次に紹介するのは少し遡って80年代半ばに出たモデル。

WGP500レプリカ

『2st/400~500ccレーサーレプリカ』

実質的に

・NS400R

・RZV500

・RG400/500

の事なんですが、これらのバイクも2st/250ccや4st/400ccのレーサーレプリカとはニュアンスがちょっと違います。

これらはWGP500(MotoGPの前身)のファクトリーマシンを模した

『公道を走れるファクトリーマシン』

という意味合いが強いバイク。今でいえばRC213V-Sと同じ様な感じです。

YZR500レプリカ

だから間違いなく正真正銘のレーサーレプリカと言えるんだけど、レーサーというよりはメモリアル的なモデルというわけ。

※市販車レースと完全に無縁だったわけではない

そして最後に紹介するのは

ミニレプリカ

『ミニレーサーレプリカ』

これらも結局ノービスの間で流行っていたミニバイクレースに向けて出されたバイク。

スズキがネタに走ってGAGを出したかと思ったらヤマハがネタになってないYSR50をぶつけてきた事でレースが本格始動し、ヤマハが気になって仕方ないホンダがNSR50を全力でぶつけてきて占領したからヤマハが怒ってTZM50Rでやり返したという話。

だいぶザックリですがそんな感じです。

この様にひとえにレーサーレプリカと言っても色々あって

「レーレプはGP250直系の2st/250ccだけだ」

という狭い定義も出来るし

「80年代から90年代に掛けて出たフルカウルスポーツはレーレプ」

という広い定義も出来る。

レーサーレプリカのクラス

それくらいレーサーレプリカの定義は実は曖昧だったりするんです。

さて・・・そんな全クラスを巻き込むブームとなったレーサーレプリカですが、その終わりは呆気ないもので90年代に入るとインフレへの疲弊や馬力規制により需要が減少。

1991年には花形だったTT-F3が廃止となった事でノービスのサクセスロードが崩壊し、そのレースのためにあったと言っても過言ではない250/400レーサーレプリカも存在意義を失いました。

レーサーレプリカレース

そしてTT-F3の代わりに新たに始まったのが

『NK-1/NK-4』

という市場でブームとなっていたネイキッドのレース。

あんな盛り上がっていたTT-F3がアッサリ畳み掛けるように廃止されたことに違和感を覚える人も多いかと思いますがこれは

「ホンダを筆頭にメーカーが終わらせたかった」

という話というか噂。

・排ガスや騒音の問題

・峠で練習するノービスによる社会的イメージの悪化

・先がなく世界とも繋がっていないクラスのリソース負担

などの理由からかなと思われます。

これらによりレーサーレプリカはフェードアウトする様に、本当にそれまでの熱狂っぷりが嘘のように90年代半ばにひっそりと終焉を迎えました。1995年に今のように教習所で大型二輪が取れる規制緩和が行われ、リッター時代の到来が完全なトドメになったかと思われます。

レーサーレプリカのカタログ

これがレーサーレプリカそしてレーサーレプリカブームの全貌。

「レーサーが身近になった事で始まり、レーサーが身近になりすぎたから終わった」

そう言える時代でした。

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